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<2014年度>

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春 一 番

 

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「今日の給食のメニューは、幼稚園児の積んできた“蕗のとう”を天ぷらにしてみました。」

調理師の先生からメニューの説明です。

私は、これはうれしいと心の中でつぶやきました。

「校長先生、“蕗のとう”はちょっと苦いよ。」

「よく知っているね。大人の味だよ。」

「私が1年生の時、学園長先生が“蕗のとう”を煮てくれたから知っているよ」

と5年生の女子が話してくれました。

昨日の雨に続き、今日はぽかぽかの天気。校庭の梅も一気に咲きほころびました。ウサギの毛も抜け替わり季節は確実に春に近づいています。

里山ならではの自然の恵みです。里山教育ならではの児童との会話です。私の心にも梅の花のような心地よい春が来ました。

 

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カラッとあげる。       ちょっとした苦味が最高。 つまようじでめしあがれ。

 


             2015/02/吉日
島根 照夫


気づきは気配りなのです

 気づきは気配りなのです。日本人は、昔から気を配ることにかけては世界の人が認めています。気を配ること即ち気づきのセンスを身につけることこそ子どものうちに身につけさせたい力です。大人になってからやっても嫌味になります。自然な振る舞いこそがスマートな振る舞いではないでしょうか。相手にいらぬ気を使わせぬ事こそジエントルマンなのです。相手のことを心配することこそ、本当の心配りなのですね。ロボットの世界では限りなく技術が進歩していますが、人の顔色を見る、心を読むことは未だできないようです。機械と人の違いはここにあるのです。

 気づきのセンスは経験・実践によって身につくと思います。促成栽培のように、すぐに身に着くものではありません。今ある人間社会では、その教えは何十年、何百年かけて醸成し様々な格言や口伝などによって我々日本人の体内に刻み込まれてくるものです。先人の言うことには耳を傾け良く聞くものですね。それと同時に、先輩の立場にある人は、大切なことは伝えて残す義務がありますね。

 七沢希望の丘初等学校は私学のオンリーワンを目指します。ナンバーワンを目指すのではありません。子どもと共に一人ひとりが輝いている学校生活にしたいのです。教育に携わる人(教師と呼ばれる人)として今何ができるのか。生きるってすばらしいことだと、今輝いて、子どもたちに何を伝えるか。生きている花は美しい。教師年齢の若い人、教師年齢を重ねている人、その年でなければできないことがあるがあるはずです。教師は見返りを求めない愛の奉仕が基本になります。(キリスト教的には、アガペーといいます)教師が輝いてこそ子どもも輝くのです。

2015/2/1
島根 照夫


隣人愛

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今、何が私たちにできるのか。何をするように求められているのか。

 低学年の指導に長く携わってきたが、その中にヒントがあるように思える。私は、禁止することはあまり好まないが、ルールを守れないときには、時にして遊びを禁止することがある。たとえば、独楽遊びで何度言っても仲違いをするようなときには、独楽遊びを禁止にする。そうするとすぐに違う遊びを考え出す。子どもたちは、ないところからの発想がとても豊かである。飽食の時代には当たり前にできることに気がつかない。悲しいかな、鈍感になっている。楽しく学校に通えること、暖かいところで寝られること、両親がいつでも側にいること、夜はいつも電気がついていること、好きな食べ物がいつでも豊富にあること。ところが東日本大震災にあった人たちは何一つとしてできなかったのです。

 今回の子どもたちの企画した修学旅行ではその被災地を訪れる機会を得ました。まだまだ被災の復興が遅れていることを目の当たりにしました。がれきの処理、住宅の建築、インフラの整備など周りはこぎれいにはなっているもののまだまだ遅れています。その中で生活している人は、たくましく前を向いて生きているように感じました。これが私にとっての救いでした。語り部の人たちの口から出る言葉は、不平不満ではなく、これからの人たちに大切な教えとして伝えなければならないことを信念を持って語っていました。

 訪れた大船渡には、30年周期ぐらいで襲ってきた津波の碑があり、そこには被災した人たちを悼むと同時にその事実を記録してありました。これからの人たちに同じ思いをしてもらいたくないという気持ちが秘められています。その土地に伝わる言い伝えや昔話にはこのような意味が含まれているのですね。 語り部の人たちは、今伝えなければならないことを口伝の大切さとして語っているのです。経験した人たちの語りには強さがあります。聞く人の心にダイレクトに響いてきます。子どもたちにも何よりの響きを持って伝わっていました。語り部の人のおじいさんおばあさんのそのときの様子を伝えるとき、涙を浮かべて話していました。近所の人がおじいさんおばあさんに「速く逃げようよ」と逃げることを促したのですが、二人は「いいよこのままで」と言って津波の中に消えていったそうです。「残された人は悲しいよ。こんなに悲しい思いをするのですから、自ら命を絶つと言うことはいけないよ。」といわれた言葉に説得力があり、命は自分一人だけのものではないことが子どもたちにも響いていました。

 時間は一方通行です。元には戻れない。しかし、ラグビーの世界ではオフサイドの位置にいる人は、オフサイドラインまで戻ることができるのです。いや、一刻も早く戻ってチーム一丸となって前に進むことが要求されるのです。世の中もこのようなことがあるのではないでしょうか。

 前向きにとらえるなら、失敗例の中にこそ、残すべき教訓が詰まっているのです。被災すると言うことはこれからの生活に於いて役立てるべき情報の宝庫なのです。しんどい思いを共有したからこそ、がんばれる。今、語り部の人たちはその大切さを身をもって語っているのです。その地域に伝わる風俗や習慣には経験から裏付けされた意味があるのです。

 伝統とは文化を遺すことなのです。まだまだ経験の浅い七沢希望の丘初等学校ですがこれからその伝統を築こうとしています。

『自分がしてもらってうれしかったことは人にもしなさい。』

キリスト教教育にたった、キリスト教教育に守られた七沢希望の丘初等学校にすべく努力してまいりたいと思います。

 隣人愛とは何なのか。七沢希望の丘初等学校の子どもたちにずっと語り伝えたいと思います。

2014/11/20
島根 照夫


土から学ぶ
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 私はこの夏農業スクールでキュウリ・シシトウ・ピーマンを育てました。テントウムシにもアブラムシを食べてくれるナナホシテントウ虫がいることを学びました。立ち枯れ病やうどんこ病、ベト病、その他いろいろあることを知りました。植物の世界でも病気との闘いがあることがわかりました。病気になった苗のところに同じものを植えるとまた同じ病気になることや、同じものをやる場合は接ぎ木にしなければならないことを習いました。土に菌が残っているのが原因です。病気になった枝を触った手でほかの木を触ると伝染することやナスはナメクジに食われることがあるとも習いました。キュウリが曲がってしまうのは、なり始めの時に枝などに当たるのも原因の一つ、ただスーパーなどに出ているまっすぐなキュウリは人工的にまっすぐになるように交配をしているとのこと。キュウリは元々は、曲がるものなのですが、人工的にまっすぐにしているとのことでした。ここにも人間の都合で背筋を伸ばしている野菜と出会いました。先だけが太くなっているものは栄養不足。地植えの場合は、まず水枯れはしないとのことでした。確かに表面の土は乾いていても、30㎝も掘れば土は湿っています。水枯れを心配し、水をすぐ与えると、水なしでは育たない弱い苗になるそうです。苗は、水がなければ自分で根を伸ばし水を求めるそうです。何か子どもの育ちにも通じますね。奥深い言葉でした。(プランターで育てている場合は違いますが)

 トウモロコシは穂先が出てき始めたら、病害虫防除剤を穂先のところに置いてあげると自然に下に落ちていくそうです。花はつけるのですが実がならないのは、栄養不足で流産したのだそうです。いろいろおもしろい表現があり、今日も勉強でした。

 農には生きる基本が詰まっています。種まきや収穫だけではありません。農業のおかげで水の大切さを学び保全がなされ、山を守り、森林を守り、土を耕し、人の生活に活かしてきました。この細長い島国は季節に応じ、それぞれの土地に合う食材が四季に応じて収穫されてきました。そして国土の自然が守られてきたのです。それが今では、飽食の時代を経験して、人たちはもっぱら食べるだけ、土にもろくに触れる機会のなかった人たちが多くなり、今置かれている食と自然の危うさに気づかないでいるのです。今の日本は農業を捨てようとしています。農業には、先人の知恵が詰まっているのです。農業を捨てると言うことは、築かれてきた文化を捨てることなのです。農を捨てた国は滅びます。人は土から遠ざかると、病気に近づくのです。

 そんな思いから、ここ七沢希望の丘初等学校では、学校教育圃場での野菜作り、学校教育水田での米作りを実践しています。

2014/11/5
島根 照夫


生 き 方

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 人は迷いながら生きています。確信を持って生きている人は少ない。いや、いないのではないか。知ったかぶりをするより、一緒に学んでいく姿勢の方がよいと思う。知っているとは、知識として持っているということです。知っていることを次にどう生かすかと言うことが大切になります。

 「先生、元気ですね。」と人に言われることがあります。私には夢や希望があります。まだまだやりたいことがあります。これが生き生きしている理由かもしれません。夢や希望がなく、しょぼんとしている子どもに出会うと、なぜ夢や希望が持てないのだろうと思います。そのために、私は夢や希望の持てるような動機付け、はっとするような場面を作り出すように心がけています。学ぶとは、初めてのことに出会うことなのです。知っているというのは、知識として持っているのです。知識をツールとしてどう生かすかが学びを広げることになります。学校は、動機付けをするところなのです。学校だけで完結することは難しいと思います。知識を使いながら、試しながらしっかりとした力として定着するには時間がかかります。だから実践が大事なのです。実践して初めて身につくのです。即、結果を求める功利主義の考えからはなかなか“待つ”という行為は難しいかもしれません。ゆったりと構えて待つ。子どもの育ち・成長を親も先生もゆったりと構えて待ちましょう。

 人の転機・育ちにどう対応するかがその人の人生・道を決めるのです。何を習ったかでなく、誰に習ったかが大切になるのはそのためです。親はまじめに子どもに対応すれば良いのです。先生も同じ。その子にとって為になる話をすれば、伝わっていくのです。親から子へ子から孫へと良いものは伝承されるのです。

 子どもたちは希望の時間(本校のテーマ学習)で成長します。成長を実感できる機会としてとらえています。実感できた子どもは多岐にわたり活躍の場面を広げていけます。成長する子どもとともに、教師も輝ける教師となりますように。共に創造する学校、それが七沢希望の丘初等学校です。

2014/09/29
島根 照夫


七沢発で日本の教育を考える

 大規模な学校でダイナミックな教育も楽しいが小規模校だからできる味を出して楽しみたい。地域の素材を生かした教育。地産地消の考え方をすれば、人の領域も侵さないし、必要以上の消費もなくなるのではないでしょうか。ものが溢れる環境、時代には、”もったいない”の心が育てられない。ものがない、足りないところから工夫する力が生まれるのではないでしょうか。

 畑で作られる野菜から、七沢希望の丘初等学校らしい味を出したい。凝ってなくて良い、シンプルなほど、”らしくなる”のではないでしょうか。

 七沢希望の丘初等学校の子どもも先生も輝かなければ。七沢希望の丘初等学校で育てられること。それは、輝いた子どもたち。笑顔のすてきな子どもたちである。粗っぽい言い方をすれば虹のかかっている今(七沢希望の丘初等学校時代)を大切に、卒業したら自分で切り拓け。その代わり疲れたらいつでも戻ってきなさい。

 畑作業では学年ごとのカリキュラムも必要になります。たとえば七沢希望の丘初等学校の子どもたちが卒業までにオリジナル料理を作れるようにすると、そのために学年ごとの課題(つけなければならない力)も必要でしょう。

 畑作業ができる。そのために育てる力として、野菜の苗を育てる、用具の扱い、土造り、肥料・駆除、収穫、種取りなどがあります。即ち自給自足ができる子ども。いつ日本国の輸入がストップしても大丈夫。大量生産をするにはそのための技術も広さも必要でしょう。でも、自給自足には、経験からくる知識・実践があれば良いのです。作業をすると怪我もするでしょう。でも繊細な注意と大胆な心構えがあれば良いのです。近頃の天災(人災?)をみるにつけ、つくずく、自給自足の考え方が必要だと思います。七沢希望の丘初等学校の卒業生は自給自足が出来る。これも一つの力です。

 都会を真似してもしょうがない、泥臭い心のこもったおもてなしの心が大切です。

 昔のものを守ろうとすると費用対効果は高くつくのですが、本物を求めようとすると結局昔からあるものなのです。こんこんと湧きいでる大山山系の湧水のように、ゆっくりと時間をかけてここ七沢希望の丘初等学校と里山で本物を育てたい。

 

2014/09/05
島根 照夫


学び

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 学びは愉しみ。

 学びとは、初めてのことに出会うことなのです。遊び+学習=学び

 学ぶと言うことの本来の目的は、学ぶおもしろさにあるのです。

 

 今の世の中は、お金で何でも買えるが。果たして、お金が一番大切であろうか。こんなおもしろい現実のデータがあります。

  ヨーロッパのある村で、廃棄物を引き受ける住民投票が行われました。困っているなら広い耕地のどこかで引き受ける。ということに賛成が 51%でした。ところが、政府が、補助金を出すということを提案したところ。どうなったと思いますか。賛成が、 25%になったのです。人は、善意、美徳、社会性(自己犠牲)から賛成したのですが。対価として賄賂で買収されたくない。と言う思いがあったのではないでしょうか。お金を払うという現実に向かい合ったとき、これは危険なことではないのか。など、ネガティブな発想が生まれるのです。

  もう一つ、ある学校で、あまりにも安易に遅刻する生徒が多いので、遅刻をしたら罰金を取るという、規則を作ったそうです。そうしたら、罰金を払って、遅刻をする生徒が増えたというのです。罪悪感の基準を、市場は換えたりしない。取引される物が、物でなく、美徳や責任というものに出会ったとき。価値観が人によって違うと言うことを理解しなくてはならないのです。市場原理が介入する場所、介入してはいけない物をしっかり見極める。それは目的や態度、取引される物の意義をしっかりと見極める必要があると言うことです。市場経済のツールと市場社会(社会理念)を区別すると言うことです。今はすべての物が売りに出される時代です。しかし、議論をぶつけ合い、折り合いを見いだすことが大切ではないでしょうか。それが人間の知恵であると思います。分け合う幸せがそこにはあるのです。

  学校には、社会で求められる人材の育成が求められているが、社会の求めている人材とはどのようなものなのだろう。それは、目の前で起きている課題を分析し、自分の意見を考え、柔軟な発想で対応策を考えられる人ではないか。つまり、環境の変化に強い人ではないでしょうか。裏返して言えば、世の中すぐやめてしまったり、人のせいにしたり、少しのことでへこたれる人が多い、と言うことではないのでしょうか。知識の教え込みでは環境に強い人、人材は育たないと思います。自然の中で、ゆったりとした時間空間の中でじっくりと醸成しないと人は育たないのかもしれない。功利主義を認め、その要請に応えようと促成栽培のように人材を搬出してきた付けがきているのではないでしょうか。

  教育はスローフード。ファーストフードのように電子レンジでチンというわけにはいかないのです。

 七沢希望の丘初等学校の子どもたちは里山でよく遊びます。自然の恵みを受けて。

 

2014/06/26
島根 照夫


木の育ち

 朝の会で昨年12月に拾った木の実を見せながら、

「この実はなんの実でしょうか?」

ヒマラヤスギ、栃の実、マテバ椎、ハンノキ・・・

「どんぐり」

と答えた子に

「みんなドングリなんだよね。」

「ヒマラヤ杉の実は、バラの花に似ているね。雨が降るとこのようにしぼんでしまうんだね。」

このやりとりに、タンポポの知恵の国語教材を思い出した。雨の日にはしぼんでいて、天気が良くなると背伸びをして、綿毛を飛ばす。遠くに飛ばす知恵を持っているのです。雨の日には綿毛が飛ばないということも、知っているんですね。松ぼっくりを鉢植えの木のそばに置くと水やりのタイミングがわかるというのも納得。土の表面が乾いているんですね。

 1年間の木の様子、育ちを観察できるのも近くに自然保護センターがあるのでとても便利です。なかなか、点での観察はできても時間とともにスパイラルな成長観察はできにくい。子どもの成長と同じように、成長が見られ、その季節季節の変化の様子が見られるのはとても楽しい。四季によって様子を変える木々の変化が楽しい。

 先日、くらしの授業で自然保護センター観察会を行ないました。保護者の方にも呼びかけての企画でした。子どもたちとは別メニューでフィールドスタッフの説明を受ける機会を持ちました。事後アンケートでは、子どもと別行動でじっくりと説明を聞くことができ、童心に返り勉強させてもらいましたとの感想も戴きました。同じ経験を違う視点から共有することで親子の会話が増えることを願っています。教育とは学びを共有することであると私は考えています。

                                       2014/05/30
島根 照夫


里山学校

  現代社会に生きる人々は、自然と向き合わなくてはならない。自然の胎中(はらなか)で生きているのです。自然を無視しては生きてはいかれないのです。鳥たちが遊びに来る。猿たちが遊びに来る。イノシシが通り過ぎる。こんな学校。自然と親しみ、自然を友とし、自然から学ぶ。このような環境で、愛情を注がれて育つ子どもたち。繊細で壊れやすい生物を大切に生かす。そのような学校をめざします。

 食物連鎖の中で化学分解されない物質は、最後には人間に届くのです。すべての生命は神聖です。人間は、自然界にあって、傲慢であってはならないのです。現代の社会は、自然を破滅するまでになっています。人間の手を加えられない世界が必要だが、ユートピアはあり得ない事もわかっています。

 新しい学校、七沢希望の丘初等学校を認知してもらうには、口コミも大切な要素です。この口コミには、良い面と悪い面が素直に伝わっていく。こういうリスクもありますよ。ということも伝わります。残念ながら宣伝やアピールには、この部分がない。それだけに、必要としている人たちにとっては、口コミが大切なのです。

 人工化学物質(特に薬品)には、良い面だけしか伝ってこない。これを使うと、これが直ります。このように良くなります。だけどこういうリスクがありますよ。はなかなか伝わってこない。

 すべての生命を支える自然界を大切にする。こういう教えをすりこみで、小さいときから、教えなければならないでしょう。化学物質が、分解されないと言うことは、蓄積されると言うことです。

 環境ホルモン問題。子どものおかしさ。昨今言われているが。確かにおかしいことが出てきています。ぜんそく、アレルギー。等々。ヒトのホルモン異常が、原因ではないでしょうか。エストロゲン女性ホルモンの異常が考えられるといわれています。環境ホルモンが人体を滅ぼしているのではないでしょうか。人体にすぐ現れないスパン。次の代、その次の代ぐらいに現れるので、あまり問題視されないできました。文明社会は、早い結果を求めてきました。それを効率という言葉で求めてきたのです。子どもの学習においても。スリム化という言葉で、成果主義が反映してきました。ところが人間にとって本当に必要なことは何なのだろう。車はハンドルの遊びが、まっすぐ進むことができるのではないでしょうか。遊びのないハンドルは、車が危なくて進めない。

 自然界にとって必要とされる化学物質(薬品)は両刃のやいば。前にも触れたが、化学物質は、即効性があるがリスクは伝わってこない。ヒトの持っている知恵は時間がかかって取得したもの(恵み)です。自然界で、分解されないものはなるべく使わない。野生生物の変化が、やがては人間に来るのです。

 待ち受ける我慢だけ咲く子どもたち。またやってくる七沢の春。

2014年5月吉日
島根 照夫

雪の日に
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朝教会に行こうと家を出た。隣近所それぞれに、スコップや小さなシャベル、ちり取りなどを持って雪かきをしている。普段はあまり声をかけることのない東京であるが、今日は朝の光を浴びて声をかけながら雪かきをしている。私は何か後ろめたい気持ちで、
「ご苦労様」
と声をかけその場を通り過ごした。
 教会について、80過ぎの信仰生活の長い教会員の方から、
「島根さん日本も捨てたもんじゃないね。」
といわれた。各々の家から出てきて、自分の家の前くらいと雪かきをしている光景を見たとき感じたというのです。私も同じ思いでした。
 人には、他者の気持ちにより添う遺伝子が備わっているのかもしれない。だからこそ社会を形成し、共存してこられたのだ。他者に自分を投影し、時に共感する経験を重ねることによって、共存を円滑にする訓練になっているのだろう。本を読むという行為も、この考えからするととても大切なことです。本の中の事象雪の日に感動し、本の主人公になり、主人公の立場になり、考え方の幅を広げるという行為は共存するための大切な知識となります。現実に出会える人は限られているが、本の中では無限に近いのです。時代を超えた歴史上の人にも出会えるのです。世の中は、それこそ様々な思いで構成され、それぞれの事象に出会うのです。それらに共感しながら、他者の喜びや悲しみに寄り添い、共に生きていくことを学ぶのです。これこそ生きるための力、知恵なのです。この生きるための力、知恵は人との関わりの中でしか醸成されません。七沢希望の丘初等学校では、人との関わりを大切にしたいとの考えから、縦割りの生活場面を教育現場に意識して取り組んでいます。七沢希望の丘初等学校の学舎で人との心地よい距離感が醸成されることを願って。
2014年2月吉日
島根 照夫

 


命の連鎖

 私は、前任校で2年生を担任した時、毎月一編の詩を子どもたちに、暗唱するように進めていました。1月の詩は、鶴岡千代子さんの『新しいっていいもんだ』の詩を扱いました。

 新しいって いいもんだ

 ふわっとしていて いいもんだ

   焼きたてのパン ふっくらつぼみ

   まっ白いセーター

   生まれたばかりの子犬

 なぜだかうれしさ わいてくる

 新しいって いいもんだ

 さくっとしていて いいもんだ

   積もった粉雪 まだ青いりんご

   こんがりとクッキー

   とどいたばかりのキャベツ

 わすれていた日を 思い出す

 新しいって いいもんだ

 ぴかっとしていて いいもんだ

   夜明けのお日さま つめたいミルク

   赤ちゃんの泣き声

   始まったばかりの こよみ

 夢があしたをゆすってる

 新しい命が生まれる。この繰り返しが大切なのです。新しいもの、再生がなければ次につながらないのです。ヒトには傷を治す再生能力、生まれ変わる復元能力が与えられています。神様は、この力をそれぞれに与えてくださっているのです。再生、復元、生まれ変わることができないのは、このたまものを生かしていないのです。ヒトも組織もこの生まれ変わるという、大切な力、原点にたたなければならないのではないでしょうか。

 私にとって新しいもの。それは、冬休みの間がらんと無機質だった学校に、元気な子どもたちの声が戻ってきた瞬間でした。

2014年1月吉日
島根 照夫

何でもないようなこと
夜が明け朝日がまた昇る。陽が差し込んでくる。
当たり前のように、日々の営みが行われています。
 
日本人にとって当たり前のようなことが世界では評価されます。
時間を守る。並んで待つ。時刻どうり電車が走り到着する。拾ったものが届けられ、落とし主に届く。
これは、東京でオリンピックが開催されることが決まった時の日本評価です。
世界の人が評価したことなのです。
 
私は、十数年前企業の人と話をしている時、
「どのような卒業生を望みますか。」
と質問したことがあります。
「即座に、プレゼンテーション能力ですね。」
と答えられました。その当時は、指導要領でコミュニケーション能力を付けることが掲げられていた時でもありました。プレゼンテーション能力は、やらされるのでなく、自らが取り組むことで身につく力だと思います。
 
今回のオリンピックの誘致については、プレゼンテーションの重要性が指摘され、専門のアドブァイザーの指導を仰いだのです。日本の良さをどのようにアピールしたらよいのかを組織的に取り組んだのです。
 
厚木の広報誌に厚木北高の取り組みのことが書れていました。
学校を変革させる為に、スポーツをツールとして熱意ある先生と関係者の皆さんと一体になって取り組んだというのです。
顧問の先生たちは、礼儀や自主性を重視した指導に努めたのです。そして技術だけでなく豊かな人間性を育てることで、結果を生んでいるというのです。自主的に取り組むことで、過酷な練習や顧問からの厳しい言葉にも前向きな姿勢を失わないというのです。
 
学校と家庭と児童が一体となって取り組むことで結果が生まれます。
学校は変わります。
 
かつて子育ては、地域ぐるみ、家族ぐるみで取り組んでいました。
子どもは、日本の宝です。
 
小学校教育で大切なことは、人が幸せになるために必要な人間教育の礎となるモラル、倫理感を育てることであると考えます。
 
ここ七沢希望の丘初等学校の若鮎たちがいつかまたここに戻ってくる日のことを夢見て。
2013年12月吉日
島根 照夫