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<2017年度>

前年度以降の校長室より

教師たる我々は

 

 教師の人間たるひたむきな情熱がすべての鍵であることを自覚しよう。その上にたって私たちは自らに次のことを問いかけていきたい。

・教師のひたむきな開拓者的情熱は、子どもの学習意欲に効果的に伝わることをわすれないこと。教師の背中を見て子どもは育つ。

・教師は情報化時代の最前線の開拓者であることの自負をわすれないこと。常に新しいことへのチャレンジ精神。

・私たち自身は常にマンネリズムに陥りやすいことを警戒し自覚しよう。自己研鑚を怠らないこと。

・常にフレッシュな感受性を保持できるように感性を磨く努力を怠らないこと。

・教師は研究的態度を貫き、研究結果の実践記録をまとめるようにする。世に問う姿勢。

 

 また私たちは教師と児童との理想的な関係を追い求めているのですが、この事においては“抱きしめ、突き放し、寄り添う”ことが重要であると考えます。

 子どもと出来るだけ多く接触・会話(スキンシップ)すること。接触・会話(スキンシップ)することが楽しみになるような工夫をしよう。信頼関係が構築できると指導助言の言葉かけをしたとき素直に琴線に響くようになります。そのとき、各人のスタイル・ペース・トーンを尊重します。これが正しいという指導法はなかなか見いだせないものであることを念頭に入れ、色々試みることが大切です。子どもの自律と子どもの助言を乞うこととを矛盾と思わない態度が必要です。無責任に放任することとは異なります。だから“抱きしめ・突き放し・寄り添う”過程における教師の関わりの重要性を改めてかみしめていきたいものです。つまり、教師はどう抱きしめるのか、どう寄り添うのかであるのです。それらにはタイミングもあります。タイミングには個人差もあります。子どもへの助言指導に教師がどのように参加し、どのように関わって行くかは実に難しい問題です。結局は教師一人ひとりの決断・判断に起因する事柄なのです。一言で言い表すのは乱暴かもしれませんが、教育的センスが大きいと思うのです。(不器用でも実直に取り組んでいる姿勢は評価されますが)

 すなわち、私たちは児童の“自己啓発”“自力達成”のプランニングの中に泥にまみれて毅然とたつ態度を崩さないことが大切になると思います。このような教師の関わりが、子どもの自立から自律への成長を育むのではないでしょうか。

2017/10/31

島根 照夫

 

望ましい教師像と学習環境

 グループ学習に適した集団の考察をしてみると7~10名位が遊びやすく、それより多くても少なくても楽しさが減る傾向を見ることが出来ました。遊びは楽しくなくてはと思います。

 能力と性格、能力と意欲などの関係を実証しつつ、教育に携わりながら赤ちゃんを観察していると興味を持った行動をまねつつ、実に個性的な幼児となっていく育ちが見受けられます。

 まねる行為が幼児の本能である学びの原点であるならば、幼児・児童集団は年齢別でなく、異年齢を混合した縦割り小グループの方が主体的に自らの遊びを展開しやすいと考えます。特に感覚教育は縦割りの方が効果的であり、核家族で育つ子どもにとっては、縦割りの教育環境が共同社会意識を高めつつ、思いやりとか責任感など道徳意識も身に付けやすいと考えます。古くて新しい考え方と思っているのですが、寺子屋のような小学校があったら楽しいだろうなぁと思うのです。大きな屋根の下に広がる一つの学舎。その中では、異年齢の小さなグループによる活動がプロミラミングされています。そのプログラムは、子ども自らが主体的に関わり、楽しいと思えるプログラムであり、心の優しい・豊かな子どもに育ってほしいとの願いの元に組み立てられています。

 その為に子どもを見守る教師は、子どもに寄り添えるスペシャリストになってほしいのです。教師は子どもの鏡になるような立ち振る舞いが必要になります。教師は自らの人間そのものを教育の専門家として磨き上げたいものです。教師の人間たるひたむきな情熱がすべての鍵となります。その為に、教師同士の話し合いの場を多くし、教育の本質や人間性について大いに語り、子どもにとって本当に必要な能力とは何なのかを分析して、教師の再教育をみんなで力を合わせて(チーム力)取り組もうではありませんか。そこには子どもと共に学ぶ、子どもと共に答えを見いだそうとする教師、押しつけでない謙虚な教師像があります。

 七沢希望の丘初等学校では、ゆったりと流れる時間の中で子どもも教師も豊かな感性と想像力を育みたい。

2017/10/4
島根 照夫

 

 

 

教育を憂う

 

 

 今、日本の教育は危機に瀕しています。特に公立学校においては、学級崩壊、いじめ、不登校など課題が山積しており、将来の夢を描けない子どもたち、自信を失い目の輝きを失った子どもたちが溢れています。

 また、世の中は、利己主義が蔓延して《自分さえよければいい》という意識が大人にも子どもにも根付いてしまいました。戦後生まれの大人は使命感が希薄とも言われ、トラブルや危機が起こるたびにトップが保身に走り、リーダーシップを発揮できない場面をしばしば目にします。子どもたちはそんな大人たちの社会を反映するかのように、《人のために自分は我慢をする》精神が育たず、すぐに切れる子どもたちの増加に繋がっているように思われます。

 この末期的状態の原因は、戦後60年の長きにわたって、道徳観、倫理観、あるいは自律心、責任感を、大人が子どもたちにきちんと教えてこなかったことにもあると考えます。それによって、私たち日本人が受け継いできた価値観までも、学校で子どもに伝えづらくなったのではないでしょうか。

 子育ての過剰は「物・指示・世話・受容」に現れ、過保護の要因にもなっています。この現象は、教育現場でもしばしば目にしたり、報告されたりします。そこで体験学習での教育効果の重要性に目を向け、七沢希望の丘初等学校では、テーマ学習の中で工夫や研究を重ね、かなりの労力・時間をさいています。その中でもキャンプ生活は大切な教育活動として位置づけられています。親の庇護の元から離れ、自律するチャンスと捉えているからです。

このような考えの基で私学おのおのが教育を憂い、日本各地で実践できるように期待するものです。高い志を掲げる実践校が増え、高い知力と人格を備えた人材が次々と育ち、その結果、国を立て直すことに繋がればいいなあと願っているのです。

2017/06/30
島根 照夫

 

伝わるもの

 

 私はすべてを理解したわけではありません。

 草が大地に現れ始めたのはおおよそ3500万年前とされています。ここで大地の恵みが始まります。抗うことが出来ない大地。大地の恵みの始まりです。驚異的な生き物の草が生命力の源でした。生き物は草を食むために進化してきました。

 社会が求める人間像も物を作れる人から空気の読める人と変わってきたこともありました。すなわち環境の変化は人を育てると言うことです。環境の変わらない、いや自然豊かな変化の少ないところでは、昔ながらの、人間本来の気質を醸成させることが出来るのではないでしょうか。

 先日こんな事がありました。バスを待っていて、愛甲石田行きの運転手さんに「本厚木の駅には行きますか?」と問い合わせたところ3つ目で降りて乗り継いでいくように勧められました。乗り継ぎ場所でお金を払おうとしたところ「いいですよ」と言われました。1~2分間隔で来る東京の環境とは違い、1時間に1本か2本の私の住んでいる小野では大変に助かりました。

 車を運転していても合流では、まず譲ってくれます。車間が少しでも空いたら割り込んでくる東京とは違います。学校のある七沢では、人の琴線・優しさに触れる機会が多くあります。ゆったりと時間が流れているのでしょうか。

 ゆったりと時間が流れるとは、じっくりと見る、じっくりと観察する科学的な芽(目ではない)が育つのではないでしょうか。

 朝登校する児童を迎えているとき、「校長先生これ死なないかな。」と言って見せたものが、アゲハの幼虫でした。のぞいてみると山椒の葉とミカンの葉が入っています。目黒の私のうちにも毎年同じ時期にクロアゲハが来ます。自分の育った環境が自分の子どもにも安全であり、育つ環境に適しているのがわかるのか卵を生みに来ます。自然界の本能、DNAなのでしょうか。動物界では自分の育った環境が安全であれば、子孫に伝えているのですね。七沢希望の丘初等学校は、このような学校でありたいですね。

2017/06/01
島根 照夫

 

暮らしと文化

 

 昨年度の『テーマ学習』は、「厚木とニュージーランドの暮らしと文化の違い」の学びもしました。ワールドカフェ方式での話し合いが効果を上げると言われ、世間では多くの話し合いがこの方式を導入し始めました。本校の縦割りのグループでの話し合いを進めているとワールドカフェ方式での話し合い効果が現れているように思われます。

 ワールドカフェ方式では、人々は集まって円形に座ります。ただ語らうことで集まった人たちの気づきを共感する。少人数で集まり、何を決めるとか方向を決めるとか言うのでなく、ただ誰でもが話す。その結果全員は何をすべきかを理解できるようになるのです。何故ならお互いがよく理解されたからなのでしょう。対話はコミュニティーとして我々を結びつけます。真の対話に参加すれば次のような市民社会の価値観を共有創造して強化することができます。互いの信頼を構築する。互いに親しみと気安さを感じる。互いに当たり前のように協力し合う。どうやってそういう共通の土壌を創るかを知る。同じコミュニティーのメンバーに同一性と共感が生まれるなどです。

 子どもたちの話し合いを観察していると、リラックスした雰囲気の中でテーマに集中した対話の中で主体性と創造性に富んだダイナミックな発想が出ています。想像できないほど多くの知識や洞察が生まれてびっくりすることがあります。特に低学年の意見の中に発見されることがあります。知識や知恵は、機能的に整備された会議体の中では生まれにくいのです。子どもがオープンに話し合いを進め、自由に参画できる井戸端会議のようなところで生まれるのではないでしょうか。大勢の前で話すよりも、話しやすさを生み出す少人数の場の方が話しやすいのでしょう。相手との距離も近く耳も傾けてもらいやすく、緊張感も薄いからでしょう。その中で比較的素直な発言をしているようです。少人数で構成するため1人ひとりが発言の機会を多く得ることができます。聴く一方でなく自分の考えがその場に提供されるため、参画意識が高まり、満足感が得られるのでしょう。人が言葉のみならず;心;で繋がることができる要素が醸成されているのです。子どもたちの自由なやりとりを見ていると実に素直な会話に思わず嬉しくなります。

2017/04/24
島根 照夫